あまりに突然のことなので、自分でもビックリしたのだが、新しいバンドを結成した。
この日を振り返ってみると以下のような感じ。
念のために申し上げるが、作り話ではなく、全て事実である。
昼はレコーディングのアレンジ・ミーティングのための準備。
慣れないエクセルを使ってスケジュール表を作成したり、
音源のCD-Rを焼いたり、ミーティングの紙資料を参加人数分プリント・アウトしたり。
ジャケットのイメージを妄想したり。
そんな期待感の中で作業しながら流していたら、
くるりの新作『ワルツを踊れ』の「アナーキー・イン・ザ・ムジーク」がツボに入ってしまい、この曲ばかりをしつこくリピートしてしまう。
午後6時半 渋谷にて伊藤孝喜、kubottiと合流。
さっそく居酒屋に向かい、まずは3人だけで軽く打ち合わせ。
その際、今回のCDを僕のソロ名義にするか、爆裂名義にするかを話していた時に
伊藤孝喜が爆裂名義への違和感を表明したのがきっかけだった。
そもそも爆裂兄弟は、Teaserが解散してバンド活動を断念し、
僕とジャンベ奏者のマサがkubottiを巻き込み、
ライヴごとに編成が異なってもかまわないという前提で動き始めた。
バンドであることをあらかじめ放棄したプロジェクトだったのだ。
たゆた での活動が忙しくなったマサと演奏する機会が減って行くに連れ、
いつのまにか爆裂はTeaserをいっしょにやっていた伊藤孝喜に参加してもらうことが増えていき、永野かおり、加藤志乃ぶに手伝ってもらうのも極めて自然な流れだった。
しかし先月の稲生座でのライヴ音源をチェックした時、
僕はそのアンサンブルに驚いた。
全員が向かうべき方向を共有しているように感じられたのだ。
その時、僕はkubottiに「『今さら何いってるの』って言われるかも知れないけど、
バンドとしては、最初の完成形になってることに気が付きました」とメールを打っているが、彼からのレスも「はい、今さらの話題です。(笑)」というものだった。
がむしゃらにバンドという形を求めていた時には、
届きそうで届かない歯がゆい思いをずっとしてきたのに、
それを諦めてなりゆきに任せていたら、
いつの間にかバンドとしての実態が生まれたという不思議。
それに気が付いた時は、我執を抑制したことでつかの間訪れた恩寵に対して、
どこか敬虔で神妙な気持ちにならざるを得なかった。
同時に、本当に繊細なバランスの上に成り立っているこの調和を、
今回のレコーディングでは大切にしなければならないと肝に銘じた。
そんな思いで臨んだミーティングで飛び出した伊藤孝喜の発言に応じて、
僕はすかさずノートに“志田歩&Teazer”と書いた。
TeaserでなくTeazerという綴りを選んだのは、
僕と伊藤孝喜の今までの流れを前提としつつ、
Teaser時代にお世話になったメンバーやスタッフと共有したものは、
あの時期のTeaserならではのものとして敬意を表明したかったからだ。
8時過ぎに渋谷屋根裏に行き、サイボーグのステージで活躍する
永野かおりの雄姿を見た後、またもや居酒屋に入り、
レコーディングにキーボードでサポートしてもらうQRE、そして加藤志乃ぶが合流。
さらに屋根裏に荷物を置いたまま駆けつけた永野かおりの前で、
名義の話をしたところ、全員が賛同。
新バンドの結成だ。
そうしたわけで今回のレコーディングは、新バンドの結成第1弾という意味あいも持つことになり、ジャケットの構想もそれを反映したものにと急展開。
自宅を出てから数時間で、ポ〜ンと遠くまでワープしたような気分である。
ミーティング終了後、元々は下北沢の飲み仲間であるQREといっしょに
この興奮をもうちょっと味わおうと思い、深夜の下北に繰り出すと
偶然にもくるりの二人と遭遇!
店内に「アナーキー・イン・ザ・ムジーク」が流れる中、
素晴らしい新作を完成させた彼らにお祝いの言葉をかけさせてもらった。
新バンドのメンバーとサポートしてもらうQREの情報は以下で。
kubotti ギター
志田とはOZmaの前身だったEternal Heartからの付き合い。ギターとドラムスのマルチ・プレイヤー。志田が暴走モードに入ると、真っ先にダメだしをしてチームの崩壊を防ぐ“NOと言える男”。
伊藤孝喜 ドラムス&パーカッション
94年11月30日、朴保&His Bandでドラムを叩いているのを見たのが最初の遭遇だった。その後、ソウル・フラワー・ユニオンのドラマーともなり、塚本晃がフロントを務めるNOWHEREでも活躍中。僕にとっては97年に結成し2004年に解散したTeaserのドラマーであり、近年の爆裂兄弟、ソロ名義のライヴで、ドラムスだけでなくパーカッションでも助けてもらってきた。
永野かおり ベース
ソウル・フラワー・ユニオンの前身グループ、メスカリン・ドライヴでデビューした後、THE 3PEACEをはじめ、参加してきたグループはあまりにも多数。現在は女性ロック・トリオの
サイボーグをはじめ、サルサ・ガムテープ、外丸兼次&Spiky Pop、ズンビ・ドゥ・バドゥなどでもレギュラー・メンバーとして活躍中の多忙なベーシスト。
加藤志乃ぶ コーラス
小川銀次に師事したギタリスト、作曲家としてのキャリアも持っているが、kubottiがドラマーとして参加していた宴とりっぷから、ヴォーカリストに転身。自らがフロントを務める加藤志乃ぶ+orange cloudではkubottiがギター、伊藤孝喜がドラムスを担当。ちなみに僕が男女ツイン・ヴォーカルに初めて挑戦した
「真冬の太陽」は僕の作詞、加藤志乃ぶの作曲。
QRE ギター、ベース、キーボード、プログラミング、etc
志田とは下北沢の飲み仲間として知り合って10年ほど。高校時代を旭川で過ごし、安全地帯が合宿していたミュージカル・ファーマーズ・プロダクションに出入りしてバンド活動を行っていたという過去を持つ。マルチ・プレイヤーとしての手腕は
ここで聴くことができる。今回のレコーディングにはキーボードでゲスト参加。
なお、9/20
旭川アーリータイムズでは、志田歩(vo,g)kubotti(g)QRE(b)という編成で、彼にとって約30年ぶりとなる旭川でのライヴを予定している。
(旭川でのライヴ情報は近日詳細をアップします)