2007年 02月 21日
高円寺のムードメイカー |
ノルマなどは無いがどんなに有名でも店が気に入らなければ演奏させない、
というポリシーの稲生座には、僕自身もお世話になり、
昨年はワンマン・ライヴまでやらせていただいている。
その稲生座のマスター、柴田廣志さんが亡くなり、21日はそのお通夜だった。
音楽関係の人が多い高円寺という街の中で、
稲生座は特別な磁場を持っていたと思う。
単にライヴだけでなく、終演後の飲食も含めて多くの人々が集う場であり、
他の場所でははみだしてしまうようなテンションを抱えた人達を
優しく受け入れていた。
僕自身は高円寺のディープなインサイダーとはいえないけれど、
少なくともそう感じたことは事実だ。
高円寺に限らず、こうした場所のマスターのキャラクターというのはとても大切で、
こゆ〜い人達がなごやかに集えるムードメイカーでなければならない。
柴田さんはまさにそういう人だった。
お通夜の会場に押し寄せた人の多さ、
そのそうそうたる顔ぶれからも、まさにそうした人徳を痛感した。
同時に自分が捨て鉢な気分になりかけた時は、
柴田さんやスタッフの方々にかわいがっていただいたことの意味を噛みしめ、
自戒しなければ、と思った。
マスター、ありがとうございました!
どうか安らかに眠ってください。
というポリシーの稲生座には、僕自身もお世話になり、
昨年はワンマン・ライヴまでやらせていただいている。
その稲生座のマスター、柴田廣志さんが亡くなり、21日はそのお通夜だった。
音楽関係の人が多い高円寺という街の中で、
稲生座は特別な磁場を持っていたと思う。
単にライヴだけでなく、終演後の飲食も含めて多くの人々が集う場であり、
他の場所でははみだしてしまうようなテンションを抱えた人達を
優しく受け入れていた。
僕自身は高円寺のディープなインサイダーとはいえないけれど、
少なくともそう感じたことは事実だ。
高円寺に限らず、こうした場所のマスターのキャラクターというのはとても大切で、
こゆ〜い人達がなごやかに集えるムードメイカーでなければならない。
柴田さんはまさにそういう人だった。
お通夜の会場に押し寄せた人の多さ、
そのそうそうたる顔ぶれからも、まさにそうした人徳を痛感した。
同時に自分が捨て鉢な気分になりかけた時は、
柴田さんやスタッフの方々にかわいがっていただいたことの意味を噛みしめ、
自戒しなければ、と思った。
マスター、ありがとうございました!
どうか安らかに眠ってください。
by shida-a
| 2007-02-21 22:00
| 雑記